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オーラ視の感想を満月の夜に書く

2017-05-11 Thu 23:27

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結井さくらさんに、オーラ視をお願いしました。

さくらさんに、上半身から下半身、全身と、私が放つ「色」を声で聴きながら、

頭の中で「色」が溢れてきて、私は生きているんだな・・・と、

そんな当たり前のコトに、ジーンときてしまった。

 
オーラとは、私が色彩を身にまとっているようなイメージでした。

世界中の全ての人達が色彩に包まれている場面を想像すると、

「好き」も「嫌い」も、「敵」も「味方」も無いような気持ちになる。

何故なら、私は全ての色が好きだから。


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背中のオーラを視ながら、「エネルギーの源はこころ」にあると言われましたが、

全くそうなのだよと、頷く。

私は基本的に自分の直感を信じない。

それが正しいとしても、そこへ向かう道を実際歩んでみて「知るコト」を選ぶ。

頭(知識)がそれを得なければ、きっと満足しない。

だけど、いつも思っている事があります。

きっと最終的に、私は「情」に叶う方を選ぶだろうな・・・と。

おい、おい、知識はどうした?と、自分に突っ込みながら。

ヘッセの「知と愛」という小説みたいだ。




それから下半身のオーラは寒色系だそうで、

もう少しグランディングした方が良いのかもと思い、

ペディキュアは「赤」にすることにしました。

でもこのまま、いつかとんずらしそうな空気感で、

ふわふわと生きていくのが、愉快だろうな。

縛られるのはまっぴらだから、誰も何も縛らないよ。



さくらさんのオーラ視の後、こんな事を一人で考えて、

時々フッと笑ってしまったり、考え込んだり、マニキュア買ったり、

他愛もない大切な時間を経験しました。

オーラ視を受ける前より、きっと私の色は幅をきかせているに違いないと思う。

パーンと放つ。

色が飛ぶ。



結井さくらのオーラ視




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ダメダメな夜

2017-04-19 Wed 00:50



再生する時、音量がマックス設定になっているので気を付けてね。

クタクタになって、フニャフニャになってるときに、
 
命は美しいとか、
 
尊いとか、
 
そんな言葉は、心まで届かない。
 
いっそ、死んでしまいたいとか、
 
死んでくれとか、
 
そんなフレーズのほうが、
 
何か笑えて、
 
やっぱり?それしかないか?とか、
 
おセンチを通り越して、
 
どうでもよくなって、
 
それが何だって?
 
それがどうしたのかって?
 
そんな気持ちになって、
 
なんにも期待しなくなる。
 
それで欲張ってバタバタしている自分が、
 
可笑しくなって、
 
そっとしてよって、
 
眠くなって、私は眠る。
 
 
ブルースは超ネガティブパワーで、
 
私をヨシヨシと、
 
眠らせてくれる。
 
 
 
ありのままの気分で、
 
眠れたら、
 
無理して誇り高い自分へ手を伸ばすより、
 
今のところはこのまま、
 
ありのままで自分を笑えたほうが、
 
よっぽど、生きていられそうな気分になる。


たまにはダメダメな夜から、愛を込めて。
 
 

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太陽は目的もない

2017-03-26 Sun 01:15

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前回、太陽には耳がないを書きながら、あえて書かなかったコトがある。

それは西洋占星術の太陽は、西洋の思想であり、

西洋の基本思想は紛れもなく、「我在り」なのだ。

だけど日本の基本思想は、「無我」であり「無私」

これは意識的にそうだと認識していなくても、この国の成り立ちや歴史の中で培われたものだから、

改めて言葉にするとしっくりこないかもしれない。

西洋占星術における太陽は、確固たる私があって当たり前だから、

太陽を生きるというのは、正真正銘の私を生きるという感じになる。

それでは日本ではどうなのか?と考えると、

この国では「私はいない」のだ。

自分を生きることがとても特別で、そのようなタイトルの本や講座が開かれていたりするほど、

我在り!の太陽は見えずらい。


私の好きな本で「弓と禅」という本がある。

この本は大正時代、ドイツからきた大学教授が弓道を通して禅の教えを習得していく様を描いていて、

西洋からきたヘルゲル教授が西洋の思想で弓道の世界へ入り、

そこで日本の「無我」と「無私」の思想へシフトチェンジされていく様子が注意深く書かれている。

ヘルゲル氏は、矢を放つのは「自分」だと思っている。

師範が矢を放つように、ヘルゲル氏も矢を放とうとするが上手くいかない。

師範はヘルゲル氏に、矢を放つのは「あなた」ではない。

「それ」が矢を放つのだと言う。

「それ」が現れ、矢を放つと。


「正しい弓の道には目的も、意図もありませんぞ!あなたがあくまでも執拗に、

確実に的にあてるために矢の放れを習得しようと努力すればするほど、

ますます放れに成功せず、いよいよ遠のくでしょう。

あなたが余りにも意志的な意志を持っていることが、あなたの邪魔になっているのです。

あなたは意志の行わないものは何も起こらないと考えているのですね



これが「私」である!という明確な太陽が見えないとき、

太陽を見つけることが目的になる。

私にここで明確な答えを示すことはできないけれど、

目的のない道の先には、何も無いのだろうか。

目的だらけの現代人は、目的を持ってあらゆる行動を起こす。

目的を持たず近所を歩くことが、何か特別な儀式のようにさえ感じる。

太陽は耳がない。

そして多分・・・・目的もない。




ヘルゲル氏は、弓道の一連の動作を一部の狂いもなく繰り返し、

自分のオリジナル全くなしで、

呼吸法さえも言われるままに真似をし、

「わたし」が消えて、「それ」が現れる日まで、

来る日も来る日も射続けた。

そしてある瞬間、「それ」がやってくる。

師範は黙って見つめながら、ヘルゲル氏が矢を放った後、

「今、それが来ました」と告げる。

意志で矢を放つのではなく、「それ」が矢を放った。



太陽のもう一つの物語は、この弓と禅から引用しました。



この本の最後、ヘルゲル氏はドイツに戻ることになり、

師範から弓を与えられます。

だけど師範はこの弓を弾きこなせるようになった後、

記念に残してはいけない。

一塊の灰にして葬るようにと言い残します。


こんなふうに最初から最後まで、私のオリジナルを唱えることなく、

日々を繰り返す中で、静かに現れる太陽もあるのではないだろうかと、私は思います。



菫(Sumire)



















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太陽は耳がない

2017-03-13 Mon 00:59

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太陽は耳がない。

何も聞こえない方がいいから。

それは他の天体の役割です。

太陽に反省しなくてもいい。

それは土星とか、月とかが十分やってくれる。


例えば小さな頃、キレイな洋服が大好きだった女の子が、

着せ替え人形で遊んだり、自分も可愛い服でないと着たくないと泣いたりして、

学校へ行き出しても、勉強しないでお洒落することばかり考えている。

周りから「勉強しないと将来困るよ!」と言われ、それはそうだろうなと思いつつも、

ノートには着てみたい洋服のデザインや、ファッション誌の切り抜きばかりで、

成績は上がる気配すらなし。

進学するときも、進学校ではないデザイン科のある学校を選んだり、

制服が可愛い学校に通うことになったりする。

高校生になる頃には、自分で簡単な服を縫うこともできるようになり、

アルバイト先は勿論、好きな洋服屋さんを選ぶ。

だんだんファッション関係の友達や知り合いが増えてきて、

専門的な知識も増えていく。

そして洋服を作ったり、探したり、組み合わせたりするセンスは磨かれ、

就職する時は、勿論その世界へ入る。

このストーリーは、太陽の物語。


太陽を生きるとは、

将来への不安から安定を選ぶとか、

この専門知識でいくら稼げるとか、

周囲の期待を裏切りたくないとか、

そんな事は何一つ、重大ではないの。


お金にならない事でも、やりたければやる。

こんな事やっていて、どーするだろうと自分でも笑っちゃうようなコトでも、

好きなら続ける。

お金のコトとか、将来への不安への一手とかは、

他の個人天体が、あーでもない、こーでもないと、

ほっといても考えてくれます。

太陽は土星のお小言も聞き流し、

反省することもなく、これやってる時が楽しいし、

身体の中で自分がムクムクと大きくなっていくと感じることをやる。

太陽が輝けば、他の天体も輝くし、力も持ち始めます。


太陽を生きるって、きっとこんなシンプルなこと。

やりたいと思うことは、10人中10人がきっと持っている。

だけどそこで思考がいろいろ考えだす訳です。

それやって、何か得するか?将来性はあるか?とか。

そのアイデアはとても大切。

だけど、

だ・け・ど、

太陽は耳を持たない方がいい。

なーんにも、聞かなくていいの。


私は子供の頃、家にあった一本の鉛筆と、

新聞広告の裏面(白紙)から始まりました。

そこに絵を描くことから始まった。

一本の鉛筆と、広告の裏だよ。

それでここまで、絵を描き続けてきた。

それをたいそうな事にする必要などないじゃないかと思う。

失うものなんか、ないよ。

太陽の強さは、きっとこんな感じなのかもと思う。





このはな池HP





















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2017-03-01 Wed 00:24

自分が死ぬことから、どうやっても逃れられない事に、

突然気が付いて、その思考にロックオンされたのは、高校2年生の時でした。

きっかけは、ジャニス・ジョプリンの自伝的な映画「ローズ」の最後のテロップ。

死んだ彼女の部屋をバックに、ローズの曲と共にテロップが流れる。

その部屋が、私の部屋ととても似ていたの。

壁に沢山の切り抜きや、ポスターが張ってあって、混沌としている十代の女の子の部屋。

私が死んだら、この部屋はこのまま置き去りにされて、

私だけがいなくなる。

このアイデアは、思春期の女の子の頭の中を真っ暗にしていった。

いつか死ぬのに、朝顔を洗う気が起きないし、髪をとかして何になるわけ?という、

今現代でいう、「鬱」状態になって、毎日、顔を洗わず、髪もとかさず、学校に行った。

もともと、学校に友達はいない派だったから、何だ問題は起こらないので良かったけれど、

3か月くらい、この「死ぬのに、なにやっても意味ない気分」は続く。

それでも学校へ行くのは、家が軍隊みたいで軍律みたいなものがあって、

行かないともっと辛い苦役を負わされるからだったけれど、

何でもいいから外に出て、町を歩くというのは良かったかもしれない。


私がこのダークサイドから立ち直ったきっかけは、

ビートルズの「ハローグッバイ」を聞いた事だった。


You say yes, I say no
You say stop and I say go, go, go
Oh no !
You say goodbye and I say hello
Hello, hello
I don't know why you say goodbye
I say hello
Hello, hello
I don't know why you say goodbye
I say hello

「こんにちは」 「さようなら」
「こんにちは」 「さようなら」

この曲をずっと聞いていると、

生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで・・・・・・・・

この繰り返しで、死ぬのも、生きるのも、違いはないような、

同じコトのような気がしてきたわけです。

この辺りになると、私の風貌もかなりオカルト的な感じに仕上がっているので、

もうそろそろ立ち止まらないと、本当に病院へ連れていかれる5秒前。

とりあえず、朝は顔を洗って、髪はとかして、ご飯も食べて、考えていけばいいかと、

少し余裕が出てきたのでした。


今は生きていることを忘れそうになる。

死んでしまうことも、忘れそうになる。


だけどね、あの大好きな人が逝ってしまうんだって。

私を愛してくれた人が、今年の桜をきっと最後だとか思いながら眺めるんだって。

あれから大好きな人達が、逝ってしまうのを何度も見てきて、

お前もいつかそこに逝くのだと、

大丈夫、たった一度だけ死ねばいいんだよと、

先に逝く人の背中がそう言うんだよね。




菫(Sumire)






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