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太陽は目的もない

2017-03-26 Sun 01:15

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前回、太陽には耳がないを書きながら、あえて書かなかったコトがある。

それは西洋占星術の太陽は、西洋の思想であり、

西洋の基本思想は紛れもなく、「我在り」なのだ。

だけど日本の基本思想は、「無我」であり「無私」

これは意識的にそうだと認識していなくても、この国の成り立ちや歴史の中で培われたものだから、

改めて言葉にするとしっくりこないかもしれない。

西洋占星術における太陽は、確固たる私があって当たり前だから、

太陽を生きるというのは、正真正銘の私を生きるという感じになる。

それでは日本ではどうなのか?と考えると、

この国では「私はいない」のだ。

自分を生きることがとても特別で、そのようなタイトルの本や講座が開かれていたりするほど、

我在り!の太陽は見えずらい。


私の好きな本で「弓と禅」という本がある。

この本は大正時代、ドイツからきた大学教授が弓道を通して禅の教えを習得していく様を描いていて、

西洋からきたヘルゲル教授が西洋の思想で弓道の世界へ入り、

そこで日本の「無我」と「無私」の思想へシフトチェンジされていく様子が注意深く書かれている。

ヘルゲル氏は、矢を放つのは「自分」だと思っている。

師範が矢を放つように、ヘルゲル氏も矢を放とうとするが上手くいかない。

師範はヘルゲル氏に、矢を放つのは「あなた」ではない。

「それ」が矢を放つのだと言う。

「それ」が現れ、矢を放つと。


「正しい弓の道には目的も、意図もありませんぞ!あなたがあくまでも執拗に、

確実に的にあてるために矢の放れを習得しようと努力すればするほど、

ますます放れに成功せず、いよいよ遠のくでしょう。

あなたが余りにも意志的な意志を持っていることが、あなたの邪魔になっているのです。

あなたは意志の行わないものは何も起こらないと考えているのですね



これが「私」である!という明確な太陽が見えないとき、

太陽を見つけることが目的になる。

私にここで明確な答えを示すことはできないけれど、

目的のない道の先には、何も無いのだろうか。

目的だらけの現代人は、目的を持ってあらゆる行動を起こす。

目的を持たず近所を歩くことが、何か特別な儀式のようにさえ感じる。

太陽は耳がない。

そして多分・・・・目的もない。




ヘルゲル氏は、弓道の一連の動作を一部の狂いもなく繰り返し、

自分のオリジナル全くなしで、

呼吸法さえも言われるままに真似をし、

「わたし」が消えて、「それ」が現れる日まで、

来る日も来る日も射続けた。

そしてある瞬間、「それ」がやってくる。

師範は黙って見つめながら、ヘルゲル氏が矢を放った後、

「今、それが来ました」と告げる。

意志で矢を放つのではなく、「それ」が矢を放った。



太陽のもう一つの物語は、この弓と禅から引用しました。



この本の最後、ヘルゲル氏はドイツに戻ることになり、

師範から弓を与えられます。

だけど師範はこの弓を弾きこなせるようになった後、

記念に残してはいけない。

一塊の灰にして葬るようにと言い残します。


こんなふうに最初から最後まで、私のオリジナルを唱えることなく、

日々を繰り返す中で、静かに現れる太陽もあるのではないだろうかと、私は思います。



菫(Sumire)



















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