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ユング

2015-12-01 Tue 23:11

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あるところで、

ユングの赤の書の一部を読んだ。

ユングは半分、眠りながら描いたのかもしれない。

その眠りとは、

自分のモノでありながら、起きていては触れられない場所であり、

言葉では完全に表現でそうにないもの。





外的な物から欲望が離れていくと、

人は魂の場所に到達する。

だがもし、その人が魂を見出さないと、

空虚の戦慄が襲ってきて、不安が様々に揺れ動いて鞭を打ち、

絶望的に求め、盲目的に欲望し、

この世界の空疎な物事へと追い立てられる。

自分の限りない欲望に翻弄され、

自分の魂から離れて見失ってしまい、二度と見つけることはない。

あらゆることを追いかけ回し、

強引に自分の物にするけれど、

自分の魂を見つけることはない。

なぜならば、魂は自分自身の内にしかないから。

なるほど、自分の魂は物の中や人間の中にあるかもしれないけれど、

盲目の人は、物や人間を掴んでも、

その中にある魂を掴むことはできない。

その人は自分の魂のことが解らない。

どのようにしたら、魂を人や物から区別できようか。

自分の魂は、欲望自体の中に見出すことができようが、

欲望の対象の中にはない。

欲望に支配されるのではなくて、

欲望を支配しているのであれば、

自分の魂に片手をかけていることになる。

なぜならば、自分の欲望は自分の魂のイメージであり、

表現だからである。

ある物のイメージを持っているのならば、

その物の半分はすでに所有していることになる。

世界のイメージは世界の半分である。

世界を所有していても、そのイメージを持たない人は、

世界を半分しか所有していない。

なぜならば、その人の魂は貧しくて、財産がないから。

魂の富はイメージから成る。

世界のイメージを持つ人は、世界の半分を所有する。

それは例え、その人の人間性が貧しく、財産がなくてもである。

しかし飢えは魂を獣にして、

その獣は自らを害するものを呑み込み、

自らの毒に落ちることになる。

私の友人たちよ。

魂を養うことは賢明なことである。

さもなければ、胸の内に竜と悪魔を育てることになる。



ユングは自分の毒が精神に浸透していくところを、

結果的に見守ったのではないかと思う。

虚無を知り尽くすと、虚無から解放されるのではないだろうか。

だけどそれはきっと尽きることがない。


私の魂は、私が知っている私そのものではないのだから。


ユングのチャート


ユングのホロスコープで印象的なのは、

1ハウスの土星と3ハウスの冥王星の90度と、3ハウスの月と7ハウスの天王星の90度だ。

ユングは1ハウスから7ハウスまで(個人を形成する場所)と、

7ハウスから12ハウスまでの(社会での自分を形成する場所)の対比が、月と太陽の世界のように二極化していて、

何というか、内と外がきっぱりと割り切れて行く感じがする。

割り切れるというと、ユングではない感じもするけれど、

自分の内面で起こることを月の領域で突き詰めて、外へ出す時は太陽で押し出す感じ。

土星が逆行している人は、土星の枠組みが今作られた枠組みではなく、

ユングが言うところの元型に近いイメージだと思う。

私も土星が逆行だから、物事を枠組みにはめこむ時の型は、原始の元型に近いから・・・。

アセンダントが水瓶座で、チャートルーラーは天王星になるから、

7ハウスの天王星は、思いっきり吹っ切れている。

欲望に支配されるのではなく、

欲望を支配する・・・。

ユングのホロスコープの下半分で見たかもしれない地獄にチャートを支配されることなく、

上半分で公にできるものへと変換させていく力。



ユングの赤の書と、ホロスコープより


スミレ






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