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マリア

2015-11-28 Sat 23:29



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何者も支配しない者こそ、

心寄せられる、大いなる者であるように、

無力である者こそ、

人の心の琴線に声が触れ、音を鳴らし、

力なき者だけが、

人間を救う。


神棚に手を合わせているとき、

権力はなくとも、強く、一途な、純粋な人達のことを想って、

元気を出して、些細なことを一心に頑張ろうと思えたとき、

何の力も持たない者こそ・・・という言葉が、

身体じゅうに広がって、

涙が出てきた。


今日、ナショナルジオグラフィックという雑誌の「聖母マリマ 愛と癒し」というリンクをシェアしましたが、

聖母マリアに対して、私は特別な気持ちを持っています。

過去生で強いマリア信仰を持っていたからもありますが、

聖母は古くから信仰されている「母神」にあたり、どんな強い理念を持った宗教でも、

母神信仰だけは無いことに出来なかった。


各地で第一線で、聖母が現れるのですが、

長崎の浦上天主堂で被爆したマリア像を見た時に、

これがマリアという存在だと思いました。

安全な場所や、第一線から離れた場所から、私たちを心配し守ろうとするのではなく、

マリアは実際に血が流れる場所に現れて、

誰よりも先に傷つき破壊される存在だと。

縄文の女神が完全の形で出土しないのは、破壊されるために作られてきたからというのに、

どことなく似ています。

岩清水八幡宮に手足が切られた女神像がおいてあると聞いたことがありますが、

何だかの理由で作ったあと、力を封じたのではないかと感じます。

マリア、女神のひとつの道筋です。


もし私がどこかの土地の母神で、その地で育った子供たちが大人になるころ、

そこに大きな災いが訪れると知ったら、

私はきっと、マリアの姿で現れることでしょう。

その子たちが一番嬉しい姿で現れ、早く話を聞き入れて欲しいから。


捉えどころのない、掴みどころのない、女神の姿は、

どこかの大きな宗教組織の認定を必要とせず、

大地を愛し生きている人がある限り、

マリアは出現し続けていくと感じます。


愛をこめて




スミレ

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