-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書く事で広告が消せます。
|
2014-05-26 Mon 23:00
昔から思っていた。 古代から人は、自分軸と宇宙軸の2つを持っていて、 自分の欲望を、自然の摂理に反映して、 超自然(スーパーナチュラル)な存在を崇めてきたのだと。 だけど、 全ては、自分が感じているからこそ存在しているんだって。 私はパスカルの言ったように、一本の葦だ。 でも、満開に咲く桜がその美しさを知っているのかな。。。 青い大空が、そのどこまでも深い青さを知っているのかな。。。 美しい蝶が、自身の華麗さを知っているのかな。。。 私の心を揺さぶるモノタチは、 多分、私が認識しているように己を知らないのではないかって。 空はあるがままに空なだけで、 桜は全身全霊で桜なだけで、 蝶はただ今を生きているだけで、 そこに「何か」を見いだして、永遠を感じるのは、 私の心だって。 だから、私がいなければ全ては無い。 私の心が宇宙のように拡大し続ければ、 私の心を揺さぶるモノタチはもっと深みを増し、 進化をして、その姿形から解き放たれて、 私になるのだと。 心なんて、そこにはもう無いだろう。 もう愛だけ。 私が愛。 だから、どんな事が起きても、 自分が取るに足りない存在だと思い知っても、 体調が思わしくなくても、限界でも、 今生きてそれを感じて挫けている自分自分がいる限り、 愛へともう進んでいるだって知る必要がある。 心の全てを知りつくせ。 これから共に生きていく最愛の人達に、 情けなさイッパイの私がそんなコトを突然伝えたりして、 冗談みたいに笑いながら、 一緒に愛になりたいなと、想う。 *写真は宇宙科学館の図書室でエジブトの天文学の本に載っていた、 宇宙創世の絵を、メモ紙に描き写してきたもの。消しゴムなしだったので一発勝負の線を描くのが面白かった。だけど一緒に行った人達を2時間待たせる。後で叱られたけど。* スポンサーサイト
|
| このはな池 |
|