自分が死ぬことから、どうやっても逃れられない事に、
突然気が付いて、その思考にロックオンされたのは、高校2年生の時でした。
きっかけは、ジャニス・ジョプリンの自伝的な映画「ローズ」の最後のテロップ。
死んだ彼女の部屋をバックに、ローズの曲と共にテロップが流れる。
その部屋が、私の部屋ととても似ていたの。
壁に沢山の切り抜きや、ポスターが張ってあって、混沌としている十代の女の子の部屋。
私が死んだら、この部屋はこのまま置き去りにされて、
私だけがいなくなる。
このアイデアは、思春期の女の子の頭の中を真っ暗にしていった。
いつか死ぬのに、朝顔を洗う気が起きないし、髪をとかして何になるわけ?という、
今現代でいう、「鬱」状態になって、毎日、顔を洗わず、髪もとかさず、学校に行った。
もともと、学校に友達はいない派だったから、何だ問題は起こらないので良かったけれど、
3か月くらい、この「死ぬのに、なにやっても意味ない気分」は続く。
それでも学校へ行くのは、家が軍隊みたいで軍律みたいなものがあって、
行かないともっと辛い苦役を負わされるからだったけれど、
何でもいいから外に出て、町を歩くというのは良かったかもしれない。
私がこのダークサイドから立ち直ったきっかけは、
ビートルズの「ハローグッバイ」を聞いた事だった。
You say yes, I say no
You say stop and I say go, go, go
Oh no !
You say goodbye and I say hello
Hello, hello
I don't know why you say goodbye
I say hello
Hello, hello
I don't know why you say goodbye
I say hello
「こんにちは」 「さようなら」
「こんにちは」 「さようなら」
この曲をずっと聞いていると、
生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで、生きて、死んで・・・・・・・・
この繰り返しで、死ぬのも、生きるのも、違いはないような、
同じコトのような気がしてきたわけです。
この辺りになると、私の風貌もかなりオカルト的な感じに仕上がっているので、
もうそろそろ立ち止まらないと、本当に病院へ連れていかれる5秒前。
とりあえず、朝は顔を洗って、髪はとかして、ご飯も食べて、考えていけばいいかと、
少し余裕が出てきたのでした。
今は生きていることを忘れそうになる。
死んでしまうことも、忘れそうになる。
だけどね、あの大好きな人が逝ってしまうんだって。
私を愛してくれた人が、今年の桜をきっと最後だとか思いながら眺めるんだって。
あれから大好きな人達が、逝ってしまうのを何度も見てきて、
お前もいつかそこに逝くのだと、
大丈夫、たった一度だけ死ねばいいんだよと、
先に逝く人の背中がそう言うんだよね。
菫(Sumire)